A PREFACE TO “SONG READER” (翻訳あり!)


(メルボルン公演を終えた Beck Boys たち)

メルボルン公演を終え、現在はシドニーに滞在中のBeckさんですが、昨日は Radiohead のライブを最前列で見たそうです。あは。
本日は単独公演があったり、週末はハーベストが控えていたりと、オーストラリア・ツアーまっただ中ですが、Song Reader もまた動き出しました。

まず songreader.net が更新され、自分が演奏・録音したビデオの投稿が可能になりました。そして新たな曲 “Old Shanghai” の楽譜のPDFがダウンロードできる。その “Old Shanghai” を US 雑誌の The New Yorker のスタッフたちが演奏したビデオがココで見れます。いい曲っす。

そんでもって、その The New Yorker のサイトに、「A PREFACE TO “SONG READER”」と題し、Song Reader を思いついたきっかけとそのコンセプトが掲載されています。Beck 先生ご自身の執筆でございます。えらい長文です。「Song Reader」に収録される序文と同じものだと思われます。

この文章はぜひとも読んでおきたい。読まなきゃダメだろコラ。だけど今ちょっと訳してる時間がないし、ていうか私のあやしい訳が出回るのは良くないだろコラと思ったので、今回は(とうとう)外注に出しました。ふふ。
ここに一挙掲載しておきます。ほとんど直訳に近いです。英文と見比べて、自分なりに解釈して、消化して下さればいいと思います。長いしちょっと読みづらいと思いますが、がんばって Beck の考えを読み解こうぞ。

 
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「A PREFACE TO “SONG READER”」(ソング・リーダーの序文)

 1990 年代半ばにアルバムをリリースして以来、僕は、オリジナルレコーディングの全曲について、ピアノ編曲とギターのコード表を委託している出版社から、楽譜版のコピーを受け取ってきました。レコードの音のイメージを楽譜に記譜してわかったことは、大部分の曲はこのような形で利用されるつもりではなかった、ということです。逆の手順を踏んで、曲を集めて本にする方がよほど自然である、つまり、演奏している曲を聴くことができるのがアルバムなのではないか、ということです。

 数年後、僕は、ビング・クロスビー (Bing Crosby) が 1937 年にリリースした、「スウィート・レイラニ (Sweet Leilani)」という曲に関する話を聞く機会がありました。どうやらこれは非常に流行っていたそうで、とある推計によれば、その楽譜は、5,400 万部を売り上げたとのことです。家庭で演奏する音楽は非常に普及していて、国中の半分位が楽譜を 1 曲は買ったことがあり、そして恐らく、その演奏を学ぶ際に苦労した経験があるのです。これは、過去の根本的なことに関する証拠を提供する統計の一つです。

 僕は、2004 年にデイブ・エッガー (Dave Eggers) に会い、マックスウィ―二―ズ (McSweeney’s) と歌集計画に取り組んでいることを話しました。当初、僕は、自身のアルバムの一枚と同じ方法で曲を書くつもりでした。つまり、譜面にして、解釈と演奏はプレーヤーに委ねるのです。しかし、何度か話をするうちに、その方法は広がりを見せてきました。僕たちは、古い楽譜を集めるようになり、イラスト、広告、コピーの基調、そして曲自体に詳しくなり始めました。それらはみな、現代音楽の陰にあまりに深く投げ込まれてしまっていて、そのかすかなイメージしかもはや存在しないような世界からのものでした。僕は、郷愁のうちに演奏する以上にその世界を探求する方法、つまり、当時の音楽を復活させたら人々がどう感じるのかを表現し、その残してくれたもの、僕たちの言う意味において、僕たち自身がポピュラーミュージックを演奏したいと感じる衝動について語る方法、そういうものがないものかどうかを知りたかったのです。

 僕がギターを始めた時、フォークやカントリーブルースに惹きつけられました。そういった音楽は、僕が音楽を自分のものとするのに持っていた、限られた手段と調和するように思えたのでした。それとは対照的に、ポピュラーミュージックは、僕のギブソン (Gibson) の平表板アコースティックギターではあまり表現できませんでした。ラジオで聞く音楽と、自分で演奏できる音楽との間には、言葉では言い表せない溝がありました。当時、録音された音楽は、もはや演奏の文書ではありませんでした。それは、スタイル、さび、演出技術の合わさったものであり、現在ある音の中に存在する人気人物のイメージの延長でした。

 20 世紀初頭のポップには、違った個性がありました。歌は、ある行動に伴うものとして機能することがありました。つまり、空想や叙情主義にひたるというような、生活の特定の場面で用いられていました。それは、感傷的でもあり、馬鹿げていることもありました。その例として、「不運な自転車乗り (The Unlucky Velocipedist)」や、「キューバのつま先と手を切れ (Get Off of Cuba’s Toes)」、「ケーキを食べる男 (I’m a Cake-Eating Man)」が思いつくかもしれません。モチーフは何度も使い古され、事実、「月」の歌、異国情緒豊かな歌、場所の歌、新発明の歌、口ごもりそうな歌が多数ありました。けれど、曲の多くは型にはまっていながらも、独創性と新奇性もありました。プロの作曲家、雲の上のような人物、ページの名前が、多くの人々の生活の中心を占めていました。文化は、フォークの伝統、現在にも伝わる歌の当時により近いものでした。音楽とはほぼ誰にでも属している、そういうものだったのです。

 カラオケやバンドを再現したビデオゲームといったものが空虚な状態を満たしている、というかもしれませんが、家庭での音楽はその需要が異なっています。つまり、根本的により個人的表現であるのです。曲の演奏方法を学ぶことは、経験という独自の分類に属します。録音された音楽は、その多くの場合、参加を必要としませんでした。より最近では、デジタル技術の発展によって、曲は、それがレコードや CD で登場した時よりも、中身の伴わない、見かけだけのものとなってきました。音楽との付き合い方は、それをどう受け止めるかということを変えました。曲は、その威信を失いました。曲は、多くの騒音と競い合って、注意を引くためにより大げさになることもあります。曲が行うと思われているものが何か、そして、その目的はどのように変化したのかは、調べてみる価値があるように思えてきました。

 曲を作曲することには、僕が頭を悩めることが含まれていました。つまり、どうやったら人々が、その曲を演奏することを学ぶ時間をとってくれるか、という疑問です。その答えの一つには、大きく跳躍することに興味のない人もいるだろう、ということ認めることもあります。僕たちは、音楽抜きで、それだけで独立できる本の作成を試みてきました。伝統的なアルバムをリリースすることには、その物に内在する価値があり得るのです。曲を聴く前に、写真やイラストやタイトルに引き込まれることもあるかもしれません。これは、そのような感情からヒントを得た本なのです。イラスト、広告、その他の文章が、幸運にも単独で何かを伝えるのです。

 しかし実際には、演奏できる曲はやはり必要なものでした。どういった種類の曲が、人がその曲と共に居続け、自分のものとするようにする質を持つのか、ということを僕は考え始めました。キャンプファイアを囲んで歌ってもらえる歌、あるいは結婚式で演奏してもらえる歌は、どんなものなのでしょう。感情が単純なのでしょうか。記憶に残るメロディ―でしょうか。どういう理由で、曲はいかなる時代をも生き抜いて、順応することができるのでしょうか。

 あるアメリカの歌集は、スタンダード、フォーク、ブルース、ポップ、シンガーソングライター、ゴスペル、カントリーを含め、人気と流行の波が内在する絶え間ない一つの現在として存在しています。その内容は、永年にわたって、拒絶され、そして再利用され、追加と削除がされています。現在が曲の集団に入り込む可能性は、現代の作曲を形作っている音楽の構造に注目し、かつて捨てられた曲と再びつながることであるように思えるのです。

 僕が自身のレコード用に作曲した曲は、より一般的なスタイルで書かれた曲に比べて、あまり適切でないように見え始めました。時々、僕は自分の衝動を書くことと格闘しました。単純であることと普遍的であること、陳腐なものと永続的であることの線引きはどこなのか。クラシックは、超越して陳腐なものを変貌させ、使い古されたフレーズや感情を誇張し、それを根源的なものに還元することが可能です。しかし、その方法はしばしば、陳腐で面白味のないものになり下がります。この落とし穴を避けるような作曲家の力量に僕は感謝しています。そして、それがここに多くを書く原動力となっていました。これらの曲のうち、どの曲がその一線を見極めるることができるのか、僕には未だほとんどわかりません。きちんとした人の場合、そこにもう少し近寄ることができるのかもしれません。

 歌集に特有の古き時代の危険性について、僕はいろいろ考えてみました。僕には、そういうものに形だけひたっていることを、小道具として受け入れないであろう友人がいることを知っています。過去を小型化、中性化する方法がありますが、それは、風変りでレトロな見当違いな中に閉じ込め、好奇心旺盛な人か、復古主義者にしか向いていないものとでしかありません。しかし、現在によって、過去を除いて妥当なものとすることが可能であるにもかかわらず、やはりその影響を完全に除くことはできません。いずれの時代にも、立ち返るべき新たなものというものが見受けられます。時代遅れに見えるものは、新しい形となって甦る方法があり、以前僕たちが気付かなかった一面が明らかになるのです。僕は、シート・ミュージックには人間的な何か、技術に頼らずともそれを容易にする何かがあると考えています。それが、他の誰かが持ってこられるものに音楽を開く方法であるのです。その不安定性こそ、突き詰めて言えば、僕をこのプロジェクトへと引き込んだものであるのです。

 音楽を解放すること、違った方法で人々とこれらの曲が協働し、今日利用できる多くの音楽形態すべてが提供するものを超えて、異なった付き合い方ができるようにすることこそ、このコレクションが究極的に目指しているものなのです。ここにある曲は、ピアノによるアレンジとギターコードから成っています。同様に、一曲については金管楽器が使われ、ウクレレコードが使われているものもあります。しかし、自分流にアレンジしたり、あるいはアレンジを無視してもらっても、一向に構いません。記譜してあるものに捉われないで下さい。好きな楽器を使って下さい。コードを変え、メロディ―を書き換えて下さい。けれど、もしよろしければ、歌詞だけはそのままにして下さい。演奏のテンポは早くても遅くても、スイングでもストレートでも結構です。歌で歌っても、楽器で演奏しても、アカペラでも結構です。演奏は、友人のためでも、あなた自身のためでも結構です。このアレンジは、出発点に過ぎないのです。これは、最終的な録音や演奏に由来しているわけではないのです。

 「恋煩いの歌 (Lovesick Blues)」は、1920 年代の曲で、最終的に、ハンク・ウィリアムズ (Hank Williams) によって演奏され、完全に彼自身の曲となりました。「君しか見えない (I Only Have Eyes for You)」は、1930 年代のミュージカルとして作曲されましたが、30 年ほど後、フラミンゴ (Flamingos) の手によって、ありのままで力強いものへと変貌し、ショー用として書かれたその起源は跡形もなくなりました。ここに紹介した曲は、作曲されてはいるものの、最終的には素描に過ぎない、ということがお分かり頂けたかと思います。楽譜に記譜されている以上に、それを超えて解釈、改善されることは歓迎されることなのです。

 1937 年、「スウィートレイラニ」は、4,400 万の家庭で歌われ、一種風変りな意見の一致を見たことでしょう。それはもう遠い昔のことではありますが、そのことに思いを巡らす時、一体どこからそのような衝動がやってきたのか、疑問が頭をよぎります。曲というものは、生活の中に入り込むために、ここに存在しているのです。少なくとも、それほど遠くない過去においては、誰かに演奏されて初めて、一片の紙が曲になった、ということを僕たちに思い出させてくれます。演奏するのは誰でも構わないのです。もちろん、あなたでも。
 
 

6 Comments

  1. 外注!
    大人の階段を登りましたね。

    おかげでベックの心意気を読むことが出来ました。一回読んだだけじゃ、ぜんぜん掴みきれなかったけど。あとで熟読します。

    hamさんに感謝です。

    オーストラリア、晴れるといいですね!

  2. ●sidemountさん
    とうとう一線超えましたよ。フフフ… コッチヘオイデヨ…

    一生日本語にならなそうなので思いきりました。そう言っていただけると金かけたかいがあるってもんです!
    私もまだ消化できてないんですがね。一文ずつどういうことを言っているのか考えながら読まないと分かんないですね。Beckさん高尚すぎ。

    オーストラリア、両日マジ雨予想です! フフ
    ありがとうございます!

  3. song readerについてのインタビューはどこの音楽雑誌にも載ってなかったのですごく助かりました。

    よく理解してないところもあるけど、ベックはつくづく音楽に対して誠実な人だなあというか・・・
    次のアルバムは普遍的なパワーのあるすごいものになる気がします。

  4. ●omochiさん
    音楽レーベル絡まないのでしょうがないかもしれませんね。
    まわりくどい直訳で、よけいに難解にしちゃってる感じで申し訳ないです。
    でもそういって頂くとありがたいです!
    問題定義とかじゃなくて、音楽への愛情からくるものだってのが、いいですよね。

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