Beck、David Bowieを語る

Rolling Stone 誌の最新号は David Bowie の追悼号となっています。様々なアーティストが Bowie を偲んで言葉を寄せていますが、Beck も rollingstone.com にてその思いを語ってくれました。長いです。
icon-arrow-right Beck on David Bowie: ‘He’s Always Been a Guidepost For Me’

…僭越ながら訳してみました。いつものように適当意訳なうえに抜粋です。難解なところは華麗にスルーしているので肝心なところが抜けているかもしれません。適当に読んで忘れてください。

(上の写真は2001年のVanity Fairの表紙を撮影した時のスナップ(多分)。Bowie と一緒に写っているネット界唯一の写真です(多分))

【更新 1/30 22:30】
NME JAPAN がこの記事を取り上げ、翻訳を抜粋で掲載しました。私が訳さなかった部分がありんす。
 icon-arrow-right ベック、デヴィッド・ボウイについて「僕のやってることの道筋」だったと語る
(これを受け、ここの訳もちょっと手直ししました)

【更新 2/8 22:30】
Rolling Stone Japan が全文を訳しました。意訳度高めな気がする。
 icon-arrow-right ベックが語るボウイへの思い:「いつだって僕の目標だった」
 
 

David Bowie を初めて見たのは83年の「Let’s Dance」のツアーで、彼は30代中頃だったけどすでに重鎮だった。彼は子供の僕から見ても際立った存在だった。そこには彼をかけ離れた存在にする真剣さと重みがあったんだ。シナトラやエルヴィスを見ているようだった。

※83年のツアーは「Serious Moonlight Tour」といって日本にも来ているようですね。

David Bowie は僕の人生が始まった時らへんからレコードを作り始めた。彼のキャリアは言ってみれば僕の人生をたどっていることになる。いつだって David Bowie のレコードがあった。彼は常に何かを実行していた。彼はいつだって僕にとっての道しるべで、重力でもあった。彼はみんなが何をしてどこに向かうかの判断基準だったんだ。

僕の Bowie 入門は「Hunky Dory」で、僕が12歳の時だった。僕は何年もそれを聴いていたが、とりわけ音楽を始めた頃によく聴いた。今でもそれのすべてに感謝している。
彼は彼の人生の事ある毎にアートを作っている。僕は彼のパーソナルな仕事だけでなく、ある意味ごまかしや見せかけの “Fashion” のような曲も楽しんだ。
Let’s Dance」にも本当に思い入れがある。すごくフィフティーズなんだけどとてもモダンでもあり、エキゾチックでかつ楽しい。

Low」は僕のお気に入りのひとつ。クラウト・ロックやエレクロトニカ、初期パンクといった新しい何かがレコード上で生まれるのを聴いているようだ。
僕は2年前に約200名のミュージシャンと一緒に “Sound and Vision” をカバーした。それは大勢による同時プレイを試みるというシュールでいかれたものだった。それについて彼から何も聞きていないが、彼が引いてないことを願う。

僕は彼と数回話したことがある。彼は好きな話し相手の一人だった。彼の話は機知に富んで刺激的だったし、たくさんのことに精通し熟知していた。彼はとても生き生きした引き込まれる知性を持っていた。非常に稀な存在だ。彼はアートや音楽、ニューバンド、コミック、日本の寺などいろいろなことを正確に知っていた。
僕はいくつか彼のリミックスをしたことがあるが、もっとやりたかったし、もっと彼と一緒にいたかった。僕らはコラボレーションできたろうにと思う。僕らはメッセージを送り合い、ひょっとしたら何かで何かしようか的なとても漠然とした話がいくつかあった。僕はコラボするに適切な機会がそのうちくるのだろうと思っていた。それは僕にとっては夢みたいなプロジェクトだっただろう。僕は彼が必要としているものを持っているとは限らないからね。彼と一緒にいたいだけのただのミュージシャンだった。彼のクリエイティブのエネルギーには周囲を揺り動かす何かがあった。

Beck による David Bowie のカバー/リミックスを貼っておきます。

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